お城探訪記

お城に赴き、お城を語るブログ

宇都宮城 / 栃木県

the boat roomという栃木の仲良しバンドの船出企画にソロでおよばれし、ソロで身軽だし電車移動だし、折角なら一泊して翌日存分に楽しんでしまおうということで、2日目にお気に入りのスニーカーを履いて、歴史探訪&餃子食べ歩きを計画。

1日目、ライブ後に栃木の皆さまと話していた折、2日目どこ行くのという話になり、宇都宮城はお城好きだし駅チカだしマストだと話したら「ガッカリするからやめといたら…?汗」という声多数。

確かに後世に復元したものだし、将棋で言ったら王将的な存在である『天守』という建物がないし、仕方ないんだけれど「宇都宮城って関東七名城のひとつだったんだぞ…?大事にして…?」と涙ぐみつつ、餃子食べながら宇都宮歴史散策をした。

f:id:hirosone:20170404214100j:image

≪ 宇都宮の由来 ≫

そもそもなんで『宇都宮』というのかみなさん由来をご存知だろうか。宇都宮城の土塁の中にある資料館で、優秀な説明おばちゃんからお話を聞いたところ、宇都宮の中心あたりにある『宇都宮ニ荒山神社』という神社がこの土地をかつて治めた『宇都宮氏』の起源で、その『宇都宮ニ荒山神社』が界隈で一番偉い『いちのみや』という称号をもってたから、『いちのみや』が転じて『うつのみや』になった説が有力らしい。

f:id:hirosone:20170404214132j:image

≪ 宇都宮氏は武家じゃなかった ≫

かつて宇都宮を治めていた『宇都宮氏』は戦争強いで有名な立派な武家だったが、その宇都宮氏の初代当主は、なんとお寺の一番偉い僧で、その初代当主・藤原宗円が座主を務めていたのが『宇都宮ニ荒山神社』。

『ニ荒山神社』に『宇都宮』をわざわざつけるのは、『日光二荒山神社』も存在するからで、2つの神社は名前は同じだけど名前の由来は全然違う。『宇都宮二荒山神社』が祀ってるのは闘いの神様で、宇都宮氏に武勲があるのはそのためらしい。

宇都宮氏は戦国時代が始まるまで、和歌がとても上手なことで知られていて、百人一首の成立に貢献したといわれる歴代当主もいる。戦争も強いし和歌も達者だし『文武両道』と言われていた。宇都宮氏は約500年ほど続いた。

しかし、伝統ある家系で、文武両道となると、偉い人の目に障る。宇都宮氏のお家騒動に乗じて、宇都宮氏の歴史にピリオドを打ったのは、豊臣秀吉だった。『羽柴』という秀吉のかつての苗字を与えたり、親しく接してきたのに、諸々政治的理由で突然「宇都宮氏はもうおしまい解散!」と命じられたのだと。辛い。

その後宇都宮氏は水戸藩に仕えたらしいが、もともと文武両道一族なので、水戸藩でも大いに活躍し、大変重用されたらしい。凄い。

f:id:hirosone:20170404214231j:image

≪ 宇都宮氏改易後の宇都宮城

「もうお家終わりです解散!」という命令を『改易』という。宇都宮氏改易後に宇都宮城に入城したのは、あまり良い噂のない『浅野 長政』。秀吉の義理の弟です。

その後に入った『蒲生 秀行』は会津の殿様だったのに、会津から宇都宮に転勤させられた人。その後武勲を立てて、会津に帰る。この頃は豊臣秀吉時代なので、宇都宮城はさほど重要視されない。この後徳川の時代になると、日光が重要な場所になるので、宇都宮城が大事にされるようになる。日光へ向かう将軍が泊まる別荘みたいな感じ?

そういうことで、歴代徳川家ゆかりの家が、その後の宇都宮を治めてゆく。

f:id:hirosone:20170404214316j:image

戊辰戦争の戦地になる ≫

こうして徳川ゆかりの人物が宇都宮城を治めていたのだけれども、江戸城無血開城した後、諦めきれない旧幕府軍と、主導権を獲得した新政府軍の戦争が始まると、歴代徳川に仕えてきたこ宇都宮城の当主は、なんと新政府軍についた。

元々、幕府より朝廷を尊重する尊皇思想が強く『宇都宮天狗党』という外国出て行け勢力が宇都宮で幅を利かせていて、幕府から何回も怒られてたらしい。そして戊辰戦争になると、新政府軍に味方したということで、いよいよ宇都宮城旧幕府軍から猛攻撃されて、落城してしまう。この時に攻めてきた土方歳三が、足に大怪我を負ったらしい。

しかし戸田さんはそれでもめげず、なんと宇都宮城を再度奪い返す。やはり武勲の神様がいるから強いのか…?取り返したものの、この時にお城も、宇都宮二荒山神社も、燃えてなくなってしまった。この一連の流れを『宇都宮戦争』と呼ぶ。宇都宮氏が500年守った宇都宮城、知らん人たちに回し回され全焼なんて、辛い。戦争が憎い…。

f:id:hirosone:20170404214350j:image

≪ 復元されたお城 ≫

その後の第二次世界大戦などで結局宇都宮城は跡形もなくなったが、2007年!つい最近!櫓二つと塀が復元された。

世の中には城跡しかなくて、それこそ公園に石碑しかないところがいっぱいある中、復元しようという動きが出ること自体、お城愛だと思う…!

でもめちゃお金かかるし時間かかるので、完全に再現は無理で、土塁を鉄筋コンクリート製にして中を空洞にし、そこに災害時の備品などを蓄えるのに活用することで、防災施設として生まれ変わった。市民を守る宇都宮城、良いじゃないですか…!お祭りなどイベントも定期的に行なっているそうで、市民の憩いの場になっている。素敵やん…。

それに、櫓と塀はきちんと木造で、漆喰塗籠の白壁でちゃんとしてる!史料がないからちょっと簡略になってるところもあるけど、史料に忠実に頑張って作ってあった!材料も極力栃木県産を使ってあるそうな。愛だな〜。世の中にはもっと雑な城もある…。

櫓しかないからしょぼいと思われがちだが、元々櫓しかない。徳川の時代にお城作りはかなり制限されたので、三階建て以上の建物は作れなかった。江戸時代の初めあたりまで天守という三階建て以上の建物があったらしい。しかし、徳川の目が光まくりだったので、その後天守はなくなり、二階建ての『清明台櫓』を天守の代わりにしていたそうだ。だから、今復元されてるあの小さい建物が一番偉いんだ!よ!なので大事にしてあげてほしい!

とはいえお城って高さだけじゃなくて、日光参拝の折々に将軍をもてなした宇都宮城だし殊更、御殿がメインってところはあったろうに。御殿はめっちゃでかいから、復元するの大変だと思うけど、少しづつ復元して、宇都宮市民が胸を張って「行ってこい!」と言えるお城に戻れたらいいのだけれどなあと思う。夢…。

あと、お城のジオラマやら史料やらを無料で見れるところもアツかった。お金取らないの?!タダでお城見ていいの?!史料も?!最高かよって思った。説明してくれるおばさんも凄く上手に説明してくれたし、とても満足した。ポケモンもいっぱいいたし。

城址公園の中にある資料館(これも無料)に行ったら、縄文土器やら何やらがたくさんあってなんで?と思ったら、戸田氏が天皇のお墓の修復に携わっていたからだった。戸田さんも文武両道だったっぽい。二荒山神社パワー。

f:id:hirosone:20170404214501j:image

≪ まとめ ≫

栃木の人って仕事できて、美男美女で、素敵な人いっぱいと思ってたけど、ルーツがあったんだなーと思った。ただの武家じゃないんだよ…!めちゃ偉い僧が起源なんだよ…!しかも武勲の神なんだよ、かっこいい…!

しかも初代から3代目の当主までは京都の生まれの人だから、雅なんだよ…!だからみんな大らかなのかな!かっこいい!

お城は櫓だけだけど、二荒山神社はがっつり綺麗に作り直されてるから、宇都宮市民にとっての城は二荒山神社なのかもしれないと思った。史料が多いからかも知れんけど!

ていうか、東京もそうなんだけど、山崩して川の流れ変えてお城作ってるから、駅出てすぐのあの川とか、いわばお城の一部ですからね!城跡見るだけじゃないんだよお城は!お寺がいっぱいあるのも戦略だったんですからね!そう考えるとお城の名残はいっぱいあったなあ〜。

すごく長く色々書いたけどもっと偉い人いっぱい出てくるし、色んな話あるし、こんなにネタの多いお城そんなにたくさんないよ!wikipedia超長いし!いいお城だよ!関東七名城だぞ!頑張れ宇都宮城

ちなみに餃子の方ですが、歴史探訪しながら食べ歩いたらエンドレスで食べられた。何軒も回ったけど、香蘭がアベレージ高かったなあ。餃子屋さんと観光スポットの配置が凄くいい感じなので、歩ける系の歴史好きにはピッタリだと思った。人気の餃子屋さんはめちゃ並ぶけど、諸々ルート組んで行列スルーしながらぐるぐる回ってたら、行列回避もできて無駄がなかった。餃子も宇都宮も最高だった!オススメのお城スポットに認定する! 

f:id:hirosone:20170404214525j:image